子ども料金
チケット売り場のおじさんは、隣の椅子に座っていたもうひとりのおじさんを「僕の友達」と紹介した。
私的な友達なのか同じ職員なのか、どうも釈然としない。
どっちのおじさんも県の職員には見えないからだ。
コメディ映画に出てくるドジな盗人コンビみたいな雰囲気。
テーブルの上には料金表があり、2種類の料金が書いてあった。
片方は通常の大人料金、もう一方は単語の意味がわからず、友人Kが電子辞書を引く。
「『小学生の』・・・だって。」
「え? 小学生? こども料金ってこと? じゃあ・・・私たち、高い方だよね。」
私たちは私たちなりにことの展開を進めていたのだが、おじさん同志も私たちがどっちの料金を払うべきかについてぼそぼそ話し合っている。
「こっちかな。」
「こっちだろう。」
「こっちだな。」
そして請求されたのは、小学生の方だった。ひとり1ユーロでお釣りが来る。
もっとも大人料金であってもたいした金額ではないのだが。
「えー! 小学生? ひどくない?」
ピッコリーナ友人Kはショックを隠せない。そんなに子どもに見えるのか、と。
私は意味をもっと大雑把に捉えていた。
「・・・いくらなんでも私たちが小学生に見えるわけないでしょ。『大人』と『こども』に分けると『子ども』料金に属するってだけでしょ。トラ二でも大学生だったし。」
で、私たちは子ども料金で中に入った。チケットはなかなかちゃんとできている。
このチケットに載っているのは
モルフェッタ生まれのコッラード・ジャキントの絵。
私たちが観られなかった、モルフェッタのカテドラル(魅惑のプーリア34参照)の
「聖母被昇天」を描いた人だ。
絵画館にはにコッラード・ジャキントの絵は何枚か収蔵されていたので、それらから、モルフェッタの「聖母被昇天」を想像してみる。
内部はワンフロアで、11世紀から19世紀のここいらの地域の絵画や彫刻が展示されていて、なかなか見ごたえがあった。
しかし、客は他に誰もいなかった。
友人Kはその後も『小学生の』をあらわす単語の真意について悩んでいた。
《つづく》