オトラントへ
レッチェに着いた私たちは、まず、
sud-est線の時刻表を調べた。その日にオトラントへ行く気運が高まっていたのだ。
日は高く昇り、もう昼か午後みたいな気分だったが、実はまだ9時過ぎだった。
私たちは一度宿へ行って荷物を置いてから、10:34発の列車でオトラントへ向かうことに決めた。11:32にオトラントに着くはずなので、昼食までにひと観光する余裕もある。(もちろん、列車が時間通りに走ればの話だが。)
オトラントのドゥオーモには、素晴らしいモザイクがあり、モザイク好きの友人Kには見逃せない街だ。行けなくても「ま、いっかぁ~。」と思うには努力が必要な街なのだ。
レッチェはバロック建築の街で、こっちはバロック好きの私が見逃せない街なのだが、建築は日曜日でも見られるので、私たちは疲れた身体にもうひと頑張りさせてその日のうちにオトラントに行くことにした。
世の中には、どうでもいいものと譲れないものとがある。
宿に荷物を置いた私たちは、駅に戻って切符を買う。
なんとなく、きっとするだろうと思っていた失敗を、私はやっぱりしてしまった。
FSの窓口で
sud-est線の切符を買おうとしたのだ。窓口のおじさんは、「またかよ。」といわんばかりに窓の貼り紙を指さして、
sud-est線の窓口へ行け、一度ホームへ出て、その向こう側だ、と言った。このおじさんは、きっと一日に何度も同じ説明をしているに違いにない。
より多くの人に理解して欲しいなら、貼り紙はもっと目立つようにして、英語と併記した方がいいと思うのだが。
驚いたことに
sud-est線は時間通りに発車した。この順調さ、このままいくわけがない。裏に何かあるんじゃないかと私たちは疑ってかかる。
4人が向き合うタイプのオープンサロンの車内で、私たちの向かいに座ったおじさんに話しかけられた。
「君たち、どくへ行くんだい?」
「オトラントです。」
「やあ、私もだよ。」
「ああ、そうなんですか。」
そこへ車掌さんが検察に来た。オトラントへ行くにはマーリエで乗換えが必要だという。
そのことは私たちは既に知っていた。路線図でも、ガイドブックでも、乗り換えるようになっている。
しかし、乗り換えにはちょっと注意が必要なようで、車掌さんは真剣に乗り換えの方法を説明し始めた。
私たちには、「一度外へ出て」という部分しかわからなかったのだが、私たちに一所懸命乗り換え方を説明している車掌さんに、向かいのおじさんが言った。
「私が彼女たちを連れて行くよ。」
車掌さんはほっと笑顔になって、
「君たち、このシニョールについて行きなさい。」と言った。
その後、cattivo(悪い奴)だとかcattive(悪い奴;女性複数形)だとかいう単語が飛び交い、お互いが悪い奴じゃないだろうな?というような確認を冗談半分でした後、車掌さんも含めて大笑いになり、どうやら違うらしいことがお互いに認識できた。
マーリエに着くと、向かいのおじさんは、私たちについて来い、と言った。
わけがわかっている人も、オトラントに行くといったらとにかくここで降りろと言われたよくわけのわかっていない観光客も、とにかくマーリエで降ろされた。
ホームでは駅員さんが、オトラントはこっちへ! と叫びながら駅の外へ出る出口を指し示している。
どんなふうに線路が走っているのだろう、外へ出てどうするんだろう?と思いながらおじさんの後をついていくと、私たちは普通に駅の外の道路に出ていた。ここで待っていろ、と言われる。
何が起こるの?
と思っていると、そこに、一台のバスがやってきた。青いプルマンだ。
乗り換えは、列車じゃなくてバスだった!
明日、不確かそうなバスに乗りたくないから今日オトラントへ来たのに、なんで私たちは今日バスに乗るんだ?
バスはいったいオトラントのどこに停まるんだ?
帰りはどうすりゃいいんだ? またバスなのか?
この路線はいつもここからバスなのか。土曜日だからバスなのか。時季的にバスなのか。今日だけ何かの都合でバスなのか。行きも帰りもバスなのか。それはさっぱりわからない。
とにかく、私たちは確実に「駅」に停まる鉄道でオトラントに行きたかったのに、それは叶わなかったということだけがはっきりしている。
バスに乗り込みながら、私はあることに再び気がついた。
「ねえ。私たち、イタリア2日目のこの時間になっても、まだ移動しているだけで観光してないよ! どこにも着いてない!」
「何やってんのかしらね…。でも、なんか、よくない? 楽しいよねえ。」
確かに…。
私たちのそんな思いにはお構いなしに、プルマンはオリーブ畑の中を走り続けた。
《つづく》