司馬遼太郎の坂本竜馬と徳川慶喜の後、職場の先輩から山岡荘八の『徳川家康』全26巻を借りてしまった。
退職するまでに読み終わって返せるのか、微妙な巻数。
が、歴史小説好きというのはなかなか、世間に少なくないようです。
戦国時代のなんたる悲しみ。死ぬも生きるも産まれるも、嫁ぐも離縁も住む家も、自分の思い通りになることなど何一つない。
そんな時代に比べれば、なんと幸せな今の世の中…。
とも言い切れない面もありますが、歴史は深いです。
特に、女の器量には考えさせられるものが。
徳川家康の正室はとんだわがまま女でしたが、織田信長の正室はよくできた才女。家康の正室がもっと質のいい遺伝子を子どもに伝えていたら、歴史は変わっていたかも・・・と思ってしまいます。
どきっとした一節。
女性には年齢とともに育つ女と、年齢とともに荒む女とふた通りあるのに、しみじみと思い至った家康だった。
うーん。育つ女でいたいものだが・・・と我が身を振り返り「よし。」と思ったり反省したり。
若いときにはどの女性も、それはそれなりに美しく、それなりに賢そうな個性を持っている。
ところがいったん男に手折られたとなると、がらりと相貌を変えていった。
一はいよいよ心身の美しさを加えてゆくのに、一は醜い自我に老けていった。
心の磨き方が、そのまま双つの女性の賢愚と美醜を染め分けてゆくのであろう。
これはなにも男に手折られたかどうかの条件を持たずとも、年を重ねていけば言えること。
心は磨いておかなくば・・・。